高文研

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立体

 自転車に乗らない日は与儀公園を歩いていく。木も草も生えていれば川も流れ、道があちこちに曲がり、焼芋を売る人も三線を弾く人も碁をさす人もいる。360度見渡せて、景色が移り変わっていくのが気持ちいい。店では一日じっと同じところに座っているから、目もからだも固まってしまう。

 桜の枝や図書館が重なりあうのが、ふと立体写真のように見えた。奥行きのある風景をあまり見ていないせいか、遠近感に現実味がない。

 高校三年のとき、写真を肉眼で立体視するのにはまっていた。『ステレオ日記 二つ目の哲学』(赤瀬川原平)を何度も見て特訓した。
 不器用で運動音痴だから、新しい技を身につけることが苦手である。ステレオ写真の立体視は数少ない特技のひとつといえる。

 公園を通り抜けて店に行き、開けて店番する。夕方、店にあった「Title」2001年2月号を何の気なしに開いたら、見沢知廉が出ていた。花輪和一と並んで「獄中読書体験記」を書いている。
「色彩や遠近感の全く感じられない、灰色のコンクリに囲まれた三畳の独房にいたので、3D写真が流行した時は、ハマった。TVのない世界では、唯一の立体画像だった」
といって紹介しているのが『マジック・アイⅡ』(ワニブックス)。
「オマケの3Dメガネで見ると簡単だが、獄中にはオマケは不許可なので、独力のみで練習した」
 なるほど。
 私もほぼ三畳の空間にいる。TVもない。見沢知廉に共感できるとは思わなかった。

 新潮社の『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』には、萩原朔太郎の撮った立体写真が載っている。前橋の公園や大森駅など、なんでもない風景が写っている。

 本人いわく、
「僕はその器械の工学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。(中略)そしてかかる僕の郷愁を写すためには、ステレオの立体写真にまさるものがないのである。なぜならステレオ写真そのものが、本来パノラマの小模型で、あの特殊なパノラマ的情愁――パノラマといふものは、不思議に郷愁的の侘しい感じがするものである――を本質してゐるからである。」(「僕の写真機」)

 孫の萩原朔美は、
「それにしても、紙焼きもガラス乾板も立体写真も、みんななんという寂しい風景ばかりを定着させているのだろうか。寂しい風景ばかりを選んだというよりも、そのような風景に撮らされている一人の男が浮かんでくるのである」
と書いている。

 立体写真はそもそも構造的にさびしい。さらに朔太郎はさびしいものばかり写している。

 技術のある人にしか見られず、正面から見るから何人もが同時に見ることもできず、大きさも限られる。立体写真は小さくて孤独な写真である。ひとりで万華鏡を回しているようだ。なのに、どうしても魅せられてしまう人がいる。

 休みの日はできるだけ見晴らしのいい場所に出たい。

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テニスコート

 夕方、久しぶりのお客様が見える。市場に来るのは近くでパソコン教室がある火曜日が多い。この店は火曜日定休なのでなかなか来られないのだと申し訳なさそうに話される。
 幸田文が好きで、青木玉、青木奈緒も読む。露伴は読みにくい。狭い店で壁ぎりぎりまで下がりながら、棚の本を1冊ずつ見ていかれる。
「中原中也、なつかしい。でもね、私はあの人が好き。ほら、沖縄の詩人で…」
「山之口貘ですか」
「そう、あの人の『座蒲団』が好き。土の上に床があって、とかいうのね。一度学校に来たことがあるの」
「えっ」
 首里高に通っていたころ、貘が母校で講演をした。今グラウンドになっている場所の裏にテニスコートがあり、そこに集められた。参加したのは数十人で、全校生徒ではなかった。話は何も覚えていない。
 1958年11月、貘が34年ぶりに沖縄に帰ってきたときのことだろう。あちこちに呼ばれて忙しく、1ヶ月の予定が2ヶ月滞在したと評伝にはある。
「今だったらパイプ椅子なんか出すんでしょうけど、あの頃はね、地面にじかに座らされてね」
 それこそ「座蒲団」の世界ではないですかと思ったけれど、いわなかった。年末で寒かっただろうと思えば「生活の柄」でもある。

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