数字
「この本はいくらですか」
としょっちゅう聞かれる。
「最後のページに書いてあります」
と開いてみせても、書かれた数字に気づかない人も多い。
裏表紙をめくると、最後のページの右上に鉛筆で値段が書いてある。古本屋とはそういうものだと昔から信じていたけれど、今や裏表紙にラベルが貼ってある方がふつうなのだろう。逆に「古書店」と呼ばれるような店ならば、スリップや値札にきちんと書名も状態も店名も書いてある。そっけない鉛筆書きは、どんどん減っているのかもしれない。
古本屋を始めてから鉛筆と消しゴムを使うことが増えた。今まではボールペンと修正テープだった。値段をつけているときにお客様が来て本が売れると、そのまま鉛筆でノートに書名と値段をメモする。先がまるまって漢字はうまく書けない。数字はちょうどいい。やわらかい芯で書いて、あとで気が変わったら消して直す。
先日、買取させてくださったお客様は、東京にいたころは私と同じ沿線にお住まいだった。値段をつけようと最後のページを開いたら、見覚えのある字体ですでに値段が書かれていた。私もこの字が書かれた本をたくさん持っている。どこのお店だったか、家の本を確かめたら、思い出せるだろうか。
その沿線の書店で働く子が、自分の蔵書を譲ってくれた。新刊書店の人の蔵書は新刊で買ったものが多いが、この子は古本もいろいろ集めている。これを見つけて買ってしかも手放すのか、と思うような本がいくつもあり、負けた気になる。
なかに、鉛筆で書かれた値段が驚くほど下手な本があった。定規でも当てたようにぎくしゃくして、誘拐犯の字のようだ。この本はどこで買ったのだろう。
一度買われてその先も回り続けることを考えると、もっと丁寧に、後世に恥ずかしくないように書かなければいけない。
ひも
天気のいい日、昼の3時にお客様の家に本を取りに行く。公園の入口で、庭にも緑がいっぱい。前から横を通ってはうらやましく思っていた。
玄関を入ったとたんに、奥様に抱かれた犬に吠えられる。プードル。
「本屋のお姉ちゃんよ、よく見なさい」
なだめられてもかまわずキャンキャン騒がれて、逃げるように階段をのぼる。絨毯を敷かれ、半円を描く階段。靴下で絨毯を踏む感触が久しぶりだ。2階のある家に入ったのも久しぶりだ。
廊下に並ぶ本棚は素通りして、洋室に入る。プラスチックの衣装ケースを開けると、本がめいっぱい詰め込まれている。
「まずはこの2ケースを見てください」
要らないものは持っていかなくていい、というありがたいお申し出なので、欲しいものだけを積み上げる。
次はベランダ。こちらも衣装ケースに本が入っている。本をベランダに置いてもいいのか。中の本は案外きれいだった。
さらに廊下を挟んだ反対側のベランダへ。家にベランダがふたつあるというのも、一軒家だったら普通なのだろうか。
ケースを開けたら、水と泥がたまり、紙は茶色く波打ち、何かの死骸や糞が積もっていた。声も出ない。
「あーだめだこれは、でもこのまま捨てればいいからよかった」
だんな様はあっけらかんとしている。もう1ケースは無事。仕分ける。
寝室のクローゼットからも1ケース出てきて、仕分ける。
「あとはまた整理して呼ぶよ。こっちは取っておく本だけど、見る?」
書斎に入ると、壁一面、天井まで本棚がある。岩波、中公、講談社現代新書や、経済や貿易の本が整然と並んでいる。さらに小さい棚があちこちに設置され、沖縄本や文庫本が集められている。廊下の突き当たりにはガラス棚に世界文学全集。家じゅうが本だった。
一通り選んでひもで縛っていく。今まで本を運ぶときは箱を使っていたのだが、ひもなら場所も取らないし足りなくなることもないし、と思って初めて挑戦してみた。途中で外れたり長さが足りなかったりしながら、のろのろと縛る。縛った横から奥様が運んでくださる。
「いいですよ、置いておいてください」
「大丈夫、主人が病気をしてからこういうのは私の仕事なの」
恐縮しながら一生懸命縛る。
「慣れてるわね」
と言ってくださり、ますます恐縮する。まだまだ古本屋初心者、お恥ずかしい限りです。
奥様はプードルと散歩に出かけた。車に積み込んでいると、だんな様に
「そこの樽、よけられるよね」
と聞かれる。隣の店の前に樽が出ていた。
「ええと、出るときはここで方向転換するんですか」
「いや、そこまでバックで」
バックの距離、約15メートル。
「運転初心者なんです」
と今度こそ告げて、樽をよけてもらい、無事に出た。
小学生の頃にブックバンドというものに憧れ、しかし使いみちがよくわからなかったのだが、ようやく納得できた。ただ、手に持ってずっと歩くのはしんどいと思う。
獄中記
土曜社さんより、新刊『獄中記』が届く。20代の大杉栄、何度も監獄に出たり入ったりしながら、本を読み外国語を勉強し、看守や獄友を観察する。相変わらずの明るく軽やかな文章。
「女の脛の白きを見て」という章題が、目をひいた。
牢に入れば煙草も吸いたくなくなるし性欲もなくなる、と書きながら、「東京監獄での第一の楽しみは、女の被告人か囚人かを見ることであった」という。女監へ向かう新入りの足跡が聞こえると、窓際に走っていって品定めをした。裁判所に出向く途中にも、道ゆく婦女子に釘づけになった。
「こっちはただ諸君の姿さえ拝ましてもらえればいいんだ。久しぶりでそとへ出て、見るものがすべて美しい。というよりは珍しい。すべてがけばけばしく生き生きとして見える。ことに女は、女でさえあれば、どれもこれも、みな弁天様のように美しく見える。」
室生犀星の「鞄(ボストン・バック)」を思いだす。出獄したばかりの男の話。
「二年半のあいだに四回見た女の顔は、二年半のあいだかれに毎晩その顔をすぐわきにならべて寝ていてくれた。」
鉄のくぐりを出て、タバコもとうふもおいしい、何より女と話すだけでうきうきする。上野行きの汽車で隣に座った女の手を握り、女のいる待合までたずねて行って仲良くなる。「娑婆世界」の幸せがいっぱいに書かれている。『舌を噛み切った女』(新潮文庫)所収。
大杉栄は1885年に生まれて1923年に虐殺された。犀星は1889年生まれ、1962年没。今日は犀星の50回忌である。
メッセンジャー
今日の沖縄タイムス別刷り「ワラビー」に、メッセンジャーの下村修平さんが載っていた。自転車で書類や荷物を配達する仕事をしている。
とくふく堂の夫妻と仲良しで、私も顔見知りになった。お客さんに頼まれたものを市場で買って届けるついでに、ときどきウララに寄ってくれる。周りのお店の人たちとも打ち解けている、好青年。
私にとって下村くんは「自転車に乗っている人」だった。自転車のパンクを直してもらったこともある。でも何よりまずは「届ける人」であって、そのために自転車に乗っているんだと記事を読んでようやくわかった。その意味では私も近い仕事をしているのではないか、と初めて思った。
「パソコンの操作ひとつで、大金が動く時代。そんな時代だからこそ、自分の体で汗をかいて人から人へものを届ける」
私もふだんは座っていても、店の外に出れば本の束を汗をかいて運んでいる。古書の市やお客様の家から、店へ。人から人へ、本を届けるため。
まあ大半の時間は座って誰か来るのを待っているだけで、それこそパソコンの操作ひとつで本を動かしたりもしているわけで、常に必死でペダルをこいでいる下村くんには頭が上がらない。家ではいつも本を読んでいるらしいので(眠くならないんだろうか)、なにか面白いものを探しておいてあげたい。
田園書房宜野湾店
田園書房宜野湾店が、3月末で閉店する。
2フロアで決して棚がたくさんあるわけではないけど、よく目配りのされた店だと評判が高かった。私は車もないので2回くらいしか行ったことがなかったのだが、どうにか乗れるようになったので行ってみた。
何列かの棚はすでに空になっていて、キュッとまとめて並べられたジャンルや、消えてしまったジャンルもある。レジには30%オフの文具を買う人とDVDをレンタルする人が並ぶ。雑誌コーナーはなにごともなく賑わっている。夜23時。この店がなくなったら、このお客さんたちはどこに行くのだろう。
ジュンク堂書店新宿店も3月末で閉店する。店員たちの最後のフェアが話題になっている(朝日新聞の記事)。
フェアが「本当はこの本を売りたかった」と名づけられているために、
「それなら最初から売ればよかったじゃないか」
という批判もあるようだけど、もちろんずっと売っていたはずだ。こんなふうにまとめて売り出すことをしなかっただけで、新刊台にいつまでも積んでいたり、棚の隅に差したりして、欲しい人にきちんと渡す準備をしていたはず。
田園書房に行った翌日、吉本隆明の訃報を聞いて、書店の人たちの動きを想像する。ありとあらゆる著作に発注をかけるのか、自分の知識や経験から絞りこむのか、とりあえず出版社からのFAXに返送するのか、あえてフェアはやらないのか。もう閉店してしまう書店は、これから大きく動くのは難しいだろう。
人の死を食い物にするなんて、という批判がここにもたぶんある。そういうことを考えながらも、他人の関心を愚直に追いかけていくしかない書店の仕事は、つらいこともある。
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